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広島高等裁判所 昭和62年(く)20号 決定

少年 Y・Z(昭46.1.11生)

主文

原決定を取り消す。

本件を広島家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は申立人作成の抗告申立書のとおりであり、要するに、原決定は、少年が非行事実一(別紙のとおり)を行なつたと認定したが、少年は○○前から出発したものの○×付近で仲間とはぐれ以後の暴走行為に関与していないから、原決定には重大な事実の誤認があるというものと解される。

そこで検討するに、一件記録によると、少年は暴走族X会に所属していたが、仲間に誘われ10余名と共に暴走行為に参加するため昭和62年4月18日午後11時30分ころ広島市西区××町の○○駐車場に自動二輪車を運転して行つたこと、そこには暴走族Y会、Z連合の者も来ており、その際の指示は○△で暴走を行なうというものであつたこと、右一団は翌19日午前0時ころから信号無視、蛇行運転などをしながら、○×、△×を経て△△町に至り、そこから○△を3往復しながら信号無視、蛇行運転、エンジン空ぶかし、過巻、旗振り等の集団運転行為を行ない、○△交差店で通行車両に衝突の危険を避けるため急停止を余儀なくさせたこと、△△町から○△にかけての運転行為を警察が現認し、次々に参加者が検挙されたことが認められ、これに反する証拠はない。

ところで、所論は少年は途中で仲間とはぐれたと主張するので、一件記録及び当審における事実調べの結果を併せ検討する。

(一)  少年は、昭和62年5月19日逮捕され、同日、非行事実を認める旨の司法警察員に対する供述調書2通が作成された(もつとも、当初は否認する供述をしていた。)。以後、少年は検察庁における弁解録取、原審の審判においても事実を認めていた。

(二)  少年は、当裁判所の尋問に対し次のように述べた。

(1)  少年は、暴走行為に参加する意思で自動二輪車を運転して集合場所に行き、集団走行を始めたが、○×で仲間とはぐれ、以後の暴走行為に関与していない。遅れて○△に他の経路で行つたが、仲間はいなかつた。

(2)  警察官に対しても、初め右のとおり述べたが、仲間が自分も一緒に走つていたと言つている等として信じて貰えなかつたので、認める供述をした。家庭裁判所でも、信じて貰えないと思つて認めると述べたが、少年院送致となつたので本当のことを知つて欲しいと思い、父に手紙を書いてうちあけた。

(三)  一件記録中、少年が非行事実をしたとの積極的証拠は、X会の仲間であるA(昭和62年5月9日付)、B(同月12日付)の司法警察員に対する各供述調書謄本のみであるところ、前者は△△町交差店を突つきる前、後者は○△交差点手前の○○映画館前で、それぞれ供述者の右後方5メートル辺りに少年運転の二輪車を見たというものである。

しかしながら、Bは、当裁判所の尋問に対し、右の場所で少年を見たことはない、右のような供述調書になつたのはX会の二輪車が5台、前後にいたことを前提とし、4台の運転者はわかつたものの他の1台がわからず、参加者で残つていた少年であろうということからである旨述べている。(Aも尋問する予定であつたが、同人は出頭しなかつた。)

(四)  少年の二輪車に同乗していたCは昭和62年5月2日付司法警察員に対する供述調書謄本で、少年運転の二輪車は○×で仲間の車と離れ、遅れて○△に行つた旨供述し、また原決定後に原審調査官に対し、○×で仲間の車とはぐれ、○△に行つたが仲間はいなかつた旨を供述している。

右のとおり、少年の当審における供述とCの供述(これは司法警察員に対するものと原審調査官に対するものが一貫しており、信用できる。)とは概ね一致(走行経路も少年が不明という部分を除いて一致)していること、これに対し少年の自白した調書は暴走行為についての記述が極めて簡単で具体性に乏しく、Bの司法警察員に対する供述調書謄本は同人の当審における供述に照らし、いずれも信用性に疑問が残ることを考慮すると、少年が○×で仲間と別れ以後の暴走行為に関与していないとの弁解を否定しきれず、従つて原決定が認定したように少年が別紙非行事実のような行為をしたとするには合理的な疑いが存するから、これを肯認した原決定には決定に影響を及ぼす重大な事実の誤認があると認められる。

よつて、少年法33条2項、少年審判規則50条に則り原決定を取り消したうえ、本件を原裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 村上保之助 裁判官 谷岡武教 平弘行)

別紙

少年は、自動二輪車運転者多数と道路において暴走することの意を通じ合い、自らは公安委員会の運転免許を受けないで自動二輪車(○○み××××号)を運転し、仲間が運転する車両約14台とともに、昭和62年4月19日午前0時頃から同日午前0時39分頃までの間、広島市西区××町×丁目×番××号所在○○駐車場から同市中区△×町を経由し同区○△を折返し同区×○町×丁目×番先○○交差点に至る約6.5キロメートルに亘る国道県道において車両を連ね又は並進して信号無視、蛇行運転、交互追越、エンジン空ぶかし、過巻、旗振等の集団運転行為を繰返し、同日午前0時25分頃同区△○町×番××号所在○○百貨店西側先交差点において、折から営業用普通乗用車自動車運転中のD(47才)に対し、同人をして衝突の危険を避けるため停止することを余儀なくさせ、その進行を妨害し、もつて共同して、著しく道路における交通の危険を生じさせ、且つ著しく他人に迷惑を及ぼす行為をしたものである。

〔参考1〕 送致命令

決定

本籍 広島市西区○○町××番地の×

住居 広島市西区○×町×番××号

(美保少年院在院中)

無職 Y・Z

昭和46年1月11日生

右少年に対する道路交通法違反、道路運送車両法違反保護事件について、昭和62年6月10日広島家庭裁判所が言い渡した決定に対し、少年の法定代理人から適法な抗告の申立があり、これに対し当裁判所は、本日原決定を取り消し、事件を原裁判所に差し戻す旨の決定をしたので、更に少年法36条、少年審判規則51条1項に従い、次のとおり決定する。

主文

美保少年院長は、少年を広島家庭裁判所に送致しなければならない。(裁判長裁判官 村上保之助 裁判官 谷岡武教 平弘行)

〔参考2〕 抗告申立書

抗告申立書

広島高等裁判所御中 昭和62年6月15日

抗告申立人 Y・R 少年Y・Z

昭和46年1月11日生

少年は、昭和62年6月10日広島家庭裁判所において中等少年院に送致する旨の保護処分決定の言渡を受けましたが、下記によつて不服ですから抗告を申立てます。

抗告の理由

この審判決定の件は、4月19日夜、40人ぐらいで○△近辺を暴走行為をしたとして、5月19日早朝逮捕され、20日から鑑別所生活でした。

6月10日審判で裁判長から約3か月の中等少年院行が決定されました。後11日本人から手紙が来ました。内容は暴走行為には参加していない、行きかけたけど、集団と別れ自分は思いとどまった。○○署の取調官にその事を言ったそうですが、どうしても信じてもらえず、厳しい取調べの末、やけになりついついやったと言ったそうです。

鑑別所の先生、家裁の調査官、両親にも信じてもらえないと思い込み、ほんとうの事を言わなかったようです。審判中も異議があれば申し立なさいと言われましたが、本人は甘い考えからやりましたと答えました。この度の逮捕は集団で暴走したとの事ですので、当方としては納得いきません。Y・Zの日頃の生活・態度が悪いのは十分承知していますし、私達夫婦の責任だとも思っています。ただ私達としてはY・Zの言っている事を信じてやりたいです。証人も友達がY・Zは加っていなかったと言ってくれます。審判の時、私達の印象はY・Zが首謀者のようになっていると思いました。せめて暴走行為に関して首謀者でない事をわかってもらうこと、又事実は、まちがっていますので抗告を申し立てします。

〔参考3〕原審(広島家 昭62(少)10363号 昭62.6.10決定)〈省略〉

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